太子屋の歴史


令和5年に創業155年目を迎えた「太子屋」の屋号で知られる浦瀬商事株式会社。福良の歴史と文化と共に歩んできた150余年。木材商としての歴史は江戸時代に遡る。初代林兵衛が福良の豪商だった平瀬家の営む太子屋に丁稚奉公に入り、素直で律儀、真面目な性格に加え、腰が低く典型的な商売人気質も相まって大番頭まで昇格した後、明治元年、太子屋(平瀬家)の材木部門をそのまま受け継いで木材商「太子屋」として自立したことに始まる。二代目長蔵は父・林兵衛から商売を引き継ぐと、その太っ腹さと先見の明に長けたセンスを活かし、商売を大きくし、当時木材商として不動の地盤を築いた。長蔵は材木の商売では飽き足らず、当時の郡会議員、町議、大正11年には阿淡汽船の初代社長に就任。その後、山あり谷あり、本業の拡張を図るため千石船を建造し、順風満帆な頃、火事に見舞われるも3日間で事務所を再興する。そんな長蔵の代を経て三代目、そして四代目、、今へと引き継がれている。現在は九代目が太子屋の舵を取る。

材木等の供給先としては、一般家屋、料理屋、旅館やホテル、学校のほか、2010年には浜離宮恩賜公園(東京)にある歴史的建造物「松の御茶屋」の復元時に柱として使われる栂(ツガ)の銘木を、地元では慈眼寺や福良八幡神社の改修時に材木を納めている。